山梨県考古学協会2005年度研究集会「牧と考古学−馬をめぐる諸問題−」

山梨県にやってきました。
研究会が始まるまで時間があったので、まずはひとっ風呂。
研究会の前に温泉に入れるなんて贅沢ですね。


時間ちょうどに会場に到着して、そそくさと席に着きました。


最初の発表は、北杜市教委の佐野さんによる旧明野町域、茅ヶ岳南西麓でこれまでに見つかった牧関連と思われる遺跡の紹介。
この分野については不勉強だったので、紹介された遺跡にはただただ驚き。
永井原V遺跡の約700mにも及ぶ溝などは圧巻でした。
ただの溝だったそうですが、溝以外にどのような構築物が伴っていたのかが気になります。土塁の存在した可能性はあるとのこと。柱痕跡は認められなかったそうです。
ただの溝なのかぁ…。


2つ目に発表は、埼玉県埋文の田中広明さんによる、考古学側からの発表。
焼印の考古学的研究は方本論的原点に返ることの重要性を再認識させられました。
やはり考古学の研究は型式学ですね。
武蔵国司や中央権力との関係で説明された、中堀遺跡に対する解釈も大変魅力的でした。


3本目の発表は、早稲田の川尻先生による文献史料からのアプローチ。
この筋では有名な研究者です。
いつも思いますが、文献史の方々の見識や、カバーしている範囲の広さには、ただただ脱帽するばかりです。
どうやってこれだけの史料を探してくるんでしょう。
日頃からアンテナを張って情報収集を欠かさないようにしてるんでしょうね。
田中広明さん(は武蔵の例でしたが…)も少し触れていた、中央権力の地方牧の経営に関する研究で、大変面白く聞かせて頂きました。
やはり考古資料も、広い視野と、同時代に対する幅広い知識を持った上で見なければいけませんね。
川尻先生の話は本当に面白かった。


本日最後の発表は、歴博の近藤好和先生の有職故実や、その他資・史料、絵画資料からの日本の馬に対する考察でした。
日本の馬は現在の人が想像しているよりもずっと屈強で、速かった、
認識を改めなければいけない、というお話。
近藤先生はこのところいろいろなところでお名前を見ていたのでどんな方なのか一度お会いしてみたかったのですが、
ビックリ。すごいマッチョでした。
なんでも、現役のウェイト・リフティングの日本代表なんだとか。
学生の頃からスポーツマンだったそうで、
とても文献史学者とは思えません。
でも、研究は幅広く緻密なんですよねぇ…。
別の意味でただただ驚嘆するばかりでした。
研究の内容も、この分野については不勉強だったので大変勉強になりました。
絵画資料は機会があればもっと丹念に見ていかないといけないなぁと痛感。


その後の懇親会では、山梨県の若手の研究者の方々の中に混ぜて頂いて飲んでいたのですが、そのメンバーは県内で最もデジタル化に取り組んでらっしゃる方々でしたので、最後の方はそのことで激論。
現状についての認識をいろいろとご教示頂きました。
続きはぜひ考古学solutionでお願いします!
盛り上げていきましょう!


二次会では山梨大学大隅先生や先程の川尻先生とお話しさせて頂いて、いろいろとご教示を賜りました。
大隅先生は山梨県史お仕事をされた関係からか、県内の遺跡の時代毎の動向などにもお詳しく、文献史の方がこれだけ勉強なさっているのだから、
考古学をやっている自分ももっと文献に気を配らなければ、と身につまされました。